医院の歴史

大正11年 
初代藤堂弥一 藤堂歯科医院開業

当院は北九州小倉出身の藤堂弥一が日本で最初の歯科医学専門教育機関である東京歯科医学専門学校(現東京歯科大学)を大正6年に卒業し北海道に渡り、縁あって大正11年に下富良野町(現富良野市)で開業したのが始まりです。
まだ開拓間もないこの富良野の地で開業してから、昭和、平成、令和へと町の発展の歴史とともに歩んでまいりました。
現在、私で4代目になります。時代の移り変わりと共に、藤堂歯科は変化し続けてきました。

初代弥一が院長の時代はまだ歯科医療自体が一般的ではなく、治療も抜歯と入れ歯作りが主体であったと思われます。弥一が治療に来た患者さんと待合室で囲碁に熱中し、なかなか治療してもらえなかった、なんていうのんびりした話も聞いています。

昭和14年 藤堂三郎が2代目院長となる

昭和53年 藤堂英樹が3代目院長となる
平成5年 藤堂三郎が勲5等端宝賞を受ける

そして、2代目三朗院長や3代目英樹院長の時代になるとレントゲン装置や歯科用チェアなど歯科機材も医療技術も着実に進歩し、虫歯治療の時代が本格的になってきます。特に昭和40年代頃は虫歯の洪水と言われる時代で、毎朝富良野駅から当院まで診療の順番待ちの行列ができていたそうです。私が子供の頃は3代目の父も毎日ヘトヘトに疲れて家に帰ってきていました。
昭和から平成になり富良野にも歯科医院が増え、患者さんの数も徐々に落ち着いてきました。
しかし、まだまだ詰めたり被せたり、入れ歯を作ったりといった治療がメインで、歯を残すということに関してはほとんど進歩が見られず。治療の繰り返しにより、歳を取るとみんな入れ歯になっていくのが当たり前という状態でした。

平成15年、そんな状況のまま私は北大病院の口腔外科を退職し、4代目院長として医院を引き継ぐことになりました。
世襲の良いところでもあり辛いところでもありますが、昔から通っていただいている患者さんの口の中を診せてもらうと、見たくなくても先代、先々代の行った治療の結果が見えてしまいます。私は従来の痛い時だけ来てもらい後始末を繰り返し、入れ歯になっていくのを手伝っているような治療中心の歯科医療に疑問を感じ、虫歯や歯周病の原因を調べて改善し、患者さんと一緒に歯と健康を守り育てていく予防歯科医療へと改革を始めました。

初めのうちはなかなか予防歯科への理解が得られず、苦労しました。定期的なメンテナンスどころか、面倒だからと衛生士によるブラッシング指導さえ受け入れてもらえないこともありました。それでも私は方針を曲げませんでしたので、昔ながらの痛い時だけ来て早く安く済ませてほしいというような患者さんはだんだん去っていきました。その代わり「自分の歯を大事にしたい」、「きちんと説明を受けて最善の治療をして欲しい」という方が増え、平成18年には予防型歯科医院「藤堂デンタルオフィス」としてリニューアルオープンすることが出来ました。

平成15年 藤堂雅成が4代目院長となり、予防歯科への医院改革を始める
平成18年 予防歯科医院「藤堂デンタルオフィス」としてリニューアルオープン

引き継いだ当初は一日4、5人だった患者さんも、今では50人を超えるようになり、その3分の1は治療ではなく定期的にメンテナンスで通う方たちです。

治療の内容も大きく変わりました。 例えば、位相差顕微鏡を用いてしっかり歯周病菌を除菌する歯周内科治療により、歯を失う人が減り、歯が一本もない総入れ歯の患者さんは非常に少なくなりました。その分、目立たない部分入れ歯やインプラント治療を希望される患者さんが増えました。

また、光学カメラで治療部位をスキャンしてコンピューターでセラミックの詰め物を作製するセレックシステムの導入により、非常に安価で短時間にセラミック治療が受けられるようになり、昔ながらの銀歯治療を選ばれる方が激減し、精度が高く虫歯になりにくいセラミック治療が主流になりました。先進国の中で未だに精度も見た目も悪く金属アレルギーの原因にもなる銀歯治療を行なっているのは日本人くらいなので、当然の潮流と言えます。

平成27年からは矯正専門外来も開始し、それまでは紹介で旭川や札幌まで治療に通わなければなりませんでしたが、富良野で専門医の矯正治療が受けられるようになり、たくさんの方に喜ばれています。

さらに、小児の早期予防矯正診療を開始したことにより、歯並びが悪くなってからワイヤーを装着し、時間とお金をかけて治すのではなく、適切な時期にトレーニングを行うことで姿勢や呼吸を改善し、正しい方向に顎顔面を成長発育させ、健常な永久歯の歯並びを獲得していくことも可能になってきました。

時代と共に人々の ライフスタイルも変わり、患者さんの価値観やニーズも変化します。そして医療もどんどん進歩していきます。藤堂デンタルオフィスは、これからも患者さんにとって、10年、20年先も価値を失わない本物の医療を提供していきたいと思っています。